西鋭夫のフーヴァーレポート 大東亜戦争(2018年8月下旬号)-3

列強による植民地支配

明治維新を成し遂げた日本が
世界に出ていこうとした時、
そこはすでに欧米列強による
植民地支配が行われておりました。

世界のほとんどが列強によって
分割されている状況に、
日本が割って入ってきたような感じです。

列強諸国も、植民地となった
国・地域も驚いたでしょう。

日本は戦争に勝ち続け、
アジアの国で初めての
植民地を持つこととなりました。

日露戦争での勝利は列強によって
踏み躙られてきた人々を大いに
勇気付けたのではないかと思います。

そんな中で出てきた日本の
国家的スローガンが
大東亜共栄圏」の創造でした。


大東亜共栄圏

大戦中における日本軍の躍進は
「アジアの解放」と呼ばれたことも
ありますが、その根底にあったのが
大東亜共栄圏」という構想です。

すなわち、アメリカやイギリス、
フランスなどの植民地となっていたインドや
ビルマ、フィリピン、オーストラリアなどを
含む巨大な地域全体を日本軍が解放し、
その上で一緒になって「共存共栄」を
実現することを考えていたわけです。

 

しかしその試みは
上手く行ったのでしょうか。

日本は最初こそ「悪い白人列強を痛めつける」
ことに成功したと言えるかもしれませんが、
そのあとは「独立」を支援する
というより、日本軍による支配を強めた、
という方が正確です。

日本軍に反対するものたちを取り締まり、
場合によっては死刑としました。

そうした支配に対して、
今度は現地の人々が立ち上がり、
日本軍に抵抗してきたのです。


人種差別

その時、日本が真の意味での
「独立」を支持していたら
状況は全く異なっていたでしょう。

日本軍に対する抵抗を、
今度は追い出された米国を中心とする
列強諸国が支援し始めます。

そして日本軍に対して
「悪」のレッテルを貼っていきます。

敗戦によってこのイメージは固定化され、
悪を退治した米国が煌びやかに
描かれることとなりました。

東南アジア諸国の教科書を読むと、
いかに日本軍が残忍だったのか、
その話ばかりが出ています。

日本軍の前に誰がそこにいて、
何をしてきたのかは
問われなくなりました。