日本式植民地支配
もし私が「日本の植民地時代に
何か良いことをした」などと話をしたら、
殴られるか、刺されるかしていたでしょう。
地下鉄で後ろから誰かに
押されていたかもしれません。
台湾や韓国の方々が
「日本の植民地政策は良かった」
と指摘するのは問題にならない。
でも占領した側が
それを言うのはお門違いです。
しかし歴史には嘘と本当があります。
私が言うと問題になりますから、
他の研究者が言った話を紹介しましょう。
私のお友達がフーヴァー研究所におられます。
1人は朝鮮半島専門家で、
もう1人は中国政治を、
それこそ共産党の時代以前から
研究している専門家です。
この人たちとお昼ご飯を一緒に
食べている時の話です。
やりとりをそのまま再現します。
朝鮮半島について
「鋭夫、日本は謝ってばかりではダメだろう」
西:「もうそろそろ時効だと思いますが」
「時効の問題ではなく、
朝鮮半島は実際のところ
日本の植民地になったことで
どれだけ助けられたか。
日本がインフラを作り、
教育機構を作ったのではないか。
官僚システムの成立にも
大きな役割を果たしたではないか。
時効云々ではなく、
それが事実ではないか」
「今でも朝鮮半島で日本が作った
インフラは実際に活用されているでしょう。
それをちゃんと言ってやれ」
西:「そんなことを言ったら殺されますよ」
「朝鮮でも台湾でも、日本の技術者が
どれだけ尊敬されているか。
日本人はわかっていない」
中国との関係について
「中国と日本は、本当はもっと
仲が良くていいのではないか。
お互いの文明文化の底辺がつながっている。
日本が中国で、例えば満州で
どれだけのインフラを作ったか、
教えてあげたらどうだ。
お前も南満州鉄道を知っているだろう」
西:「知っています」
「お前は、もっとその話をしてやれ」
満鉄
現在のハルビンから遼東半島の大連まで
走っていた鉄道を「満鉄」と呼びます。
そこを走っていた蒸気機関車が
「あじあ」です。
「あじあ」は、いわば現在の新幹線の
お祖父ちゃん・お祖母ちゃんにあたります。
これが非常に大きい機関車で、
ものすごい馬力でした。
列車もとても美しく造られておりました。
当時で、世界1、2位の
スピードで原野を走っておりました。
春夏秋冬どの季節でも原野を走るわけです。
素晴らしい機関車でした。
食堂車がこれまた綺麗で、食べ物は超一流。
給仕をするお姉ちゃんたちは
白系ロシアの超美人が揃っておりました。
この人たちは日本語、英語、ロシア語、
ほかにドイツ語も話せたようです。
世界中の富豪やお金持ちが
わざわざ満州まで乗りに来たようです。
私の尻を叩いて「言ってやれ」
と催促した大先生のことを思い出します。
私たちは70年もの間、何も言わずに、
ただ下を向いてお金だけ出している状況です。
これが続くと、私たちのプライドまで
おかしくなってしまうでしょう。