飯田有抄のショパコン日記60〜審査員の海老彰子先生に聞く。国際舞台で求められるもの|ピティナ広報部|note


飯田有抄のショパコン日記60〜審査員の海老彰子先生に聞く。国際舞台で求められるもの|ピティナ広報部|note

 

(引用始め)

海老先生:演奏からは、たった一音で、その人が何か貫くものを持っているかどうかが分かります。
日本はとても伝統を重んじる国です。若い人たちは、自分の先生や海外からの指導者の教えに対して「はい」「わかりました」と素直に習っています。それはもちろん大切なことです。
しかし、演奏芸術というのは、最終的には一人でやっていかなければならない。たった一人で2000人の聴衆を相手にし、その人たちを演奏で説得するだけの力がなければならないこともあります。ひょっとするとその演奏で「人生が変わってしまった」という聴衆が出てきてもおかしくないほどの、インパクトあるものがアートです。良くも悪くもね。
「自分の中に毒を持て」という言葉を残したのは岡本太郎さんですが、アーティストには時に、そうした強い力が必要です。とくに国際舞台では。
その力を培うために、日本ではアーティストがもっと自分の独自性を発揮できるようになっていく必要がありますよね。
伝統を重んじ、個人には謙虚さが求められる。それは人間としても、国民性として大切ですから、それは持ち続けてほしい。しかし、そこにさらに何か、人とは違う、自分だけのものをきちんと出していける力を、若い人に培ってほしいです。

——今回のショパンコンクールでは、それができる日本のコンテスタントたちの活躍があった、ということですね。

海老先生:そのように私は思っています。そうでなければ国際の演奏舞台では残っていけない。時折、海外の先生方から日本の奏者の演奏に対して、「日本では通じる演奏だよね」と言われてしまうようなことがあります。その域を越え出るものがなくてはならない。それは奏者の独自性です。教育者はそこをいかに尊重し、伸ばしていくか、それが今後ますます重要になります。
日本では、小学校1、2年生くらいまでみんな元気でやんちゃです。それが5年生、6年生くらいになると、みんな同じように大人しくなってしまう・・・。

(ここで、一緒にインタビューを聞いていたポーランドのマルタさんが感想を述べました)

マルタ:それは私のケースですね。2歳から8歳まで日本で育ちました。9歳でポーランドに帰ったら、同い年の子たちがまだまだみんなやんちゃで、あまり先生の言うことを聞かなかったり、先生にも平気で意見をいったりする。わいわい元気で、私にはそれがあまりにもショックでした。日本は走り回っちゃいけないし、あれしちゃいけない、これしちゃいけない、というルールが多かったから、子どもが本来持っているものが、どんどん失われていく。私は周りよりも自分を表に出せない子になっていたのです。今でもその気質は自分の中に残っていますよ。周りのポーランド人と、ちょっと自分は違うな、と。

海老先生:そうなの?!

——どうしたら、自分の表現ができる爆発力のようなもの、生きる力のある人を培っていけるでしょうね。

マルタ:子どもたちに、「間違ってもいいよ」って言ってあげることが大切じゃないでしょうか。

海老先生:そうよ!!

マルタ:日本では、間違わず正しくありたいし、両親の誇りでもありたいし、立派でなければいけない。そんなふうに、誰かから望まれた人を・・・

海老先生:体現しなくていい!!

マルタ:人は、自分を探し、自分を知るためには、間違ったりもしてみないと、わからないのではないでしょうか。子どもたちには、「間違ってもいい」という安心感を与えてあげてほしい。「間違っちゃいけない」というのは大きなストレスですから。

海老先生:一番大切なことです。自分探しは、それぞれに違う。これは本当に大事なことですから、このマルタさんのこの発言は、きちんとインタビューに残しておいてくださいね!
「いい子になろう」とがんばらなくていい。

マルタ:ひとつの「いい子」像なんてないから。これも「いい子」だし、あれも「いい子」。

海老先生:そう。間違っても全然かまわない。「いい子」にならなくていい。がんばらなくていい。

(引用終わり)