『三橋貴明の「新」経世済民新聞』
2020年2月23日
ナショナリズムと財政
From 三橋貴明
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【近況】
三橋経済塾第九期第二回講義が
配信されました。
https://members9.mitsuhashi-keizaijuku.jp/?p=1007
インターネット受講の皆様、
お待たせいたしました。
三橋経済塾は、講義に参加せずとも、
インターネットから
「いつでも」「どこからでも」受講可能な
経済塾です。無論、ゲスト講師の方の講演も
視聴可能です。
(※ご入塾は以下から)
https://members9.mitsuhashi-keizaijuku.jp/
京都の第二回講義におけるゲスト講師は、
藤井聡先生でした。藤井先生が、講義において
「ナショナリズムと財政」の関係について
お話下さり、なるほどと思いました。
政治家にせよ、官僚にせよ、
あるいは「国民」にせよ、国民意識
(ナショナリズム)があり、
「日本国民のことを考える」
ことが政策的に優先されるならば、
「国の借金で破綻する」といった
緊縮財政の発想は出てこないのです。
緊縮財政にせよ、財政均衡主義にせよ、
ナショナリズムを前提にしていません。
「国民全体」ではなく「政府単体」で
考えるからこそ、「財政破綻が~」が
優先されてしまうのです。
実際には、日本政府が財政破綻する可能性は
ゼロですが、本来であれば、
「たとえ、財政破綻の可能性が高まったと
しても、国民を救うためであれば政府は
予算を拡大する」
という考え方が正しいのです。
少なくとも、「国民主権国家」であるならば。
ところが、現実の日本は「政府単体」の発想が
蔓延し、国民生活よりも「財政」が優先される。
しかも、財政破綻の確率が「ゼロ」の国において、
国民生活が放置され、安全保障が破壊され、
緊縮財政のみが進む。
歪んでいます。
結局のところ、日本国民が大東亜戦争敗北後、
ひたすら「国民意識(ナショナリズム)」の
否定を続けてきた。
その延長線上に
「財政均衡主義」「緊縮財政至上主義」が
あることが理解できたのです。
というわけで、国民同士が助け合い、
連携するという意味におけるナショナリズムを
取り戻しましょう。
それ以外に、我が国が繁栄の未来を迎える
術はありません。